ビジネスわかったランド (ビジネスマナー)

つい、使ってしまう、ちょっとおかしな表現

紋切り型の謝罪表現

口先だけの謝罪では謝意は伝わらない

(1) 誤解を与えたのであれば、お詫びしたいと思います
(2) ご迷惑をおかけしたのなら、お詫びいたします
(3) ご不便とご迷惑をおかけしております。ご理解とご協力をお願い申し上げます
政治家の失言や企業の不祥事のあとで、このような謝罪なのか開き直りなのか、よくわからない言葉を聞くことがあります。

(1)も(2)も仮定の表現を使っていますから、本人は、誤解を与えたとも迷惑をかけたとも思っていないのです。誤解したのではなく正しく解釈して憤っている人々や、現実に多大な迷惑を被った人々が、このような言葉を聞いて納得するとでも思っているのでしょうか。

(1)は「お詫びしたいと思います」と言っていますが、「~たいと思う」は願望か予定です。「来年留学したいと思っています」というのは、留学願望または予定を述べているだけで、実際に留学するかどうかは、まだわかっていません。すでに決定したことならば、「来年留学します」と言えばいいわけです。「お詫びしたいと思います」は、「謝りたいという気持ちはある」と言っているにすぎず、実際には、「ごめんなさい」とも「申し訳ありません」とも言っていません。

(3)は一応自らの非を認めていますが、謝ってはいません。謝るどころか、迷惑を被った者に対して理解と協力を要求しているのです。「さっき蹴っ飛ばしたの、痛かったみたいだね。でも我慢してね。よろしく」と言っているようなものです。
いずれも、全く心のこもっていない、その場しのぎの文言でしかありません。「誤解を与えたのであれば」と言っている(1)の話者は、まず、誤解を解く努力をすべきです。発言意図を明確にし、誤解の余地がないように言葉を尽くすのです。

それができないのなら、「誤解を与えた」などという言葉を使わずに、考えなしに発した前言を撤回し、そのようなことのないように努めると述べたほうがいいでしょう。

謝罪は反省したうえでないとできません。全く反省していない人から謝られても虚しいばかりです。ときどき、被害を受けた側が怒りのあまり、「謝れ」とか「土下座しろ」とか言うことがありますが、上辺だけの謝罪や形だけの土下座で済むなら簡単だと、加害者は思っているのではないでしょうか。

失礼なことをしてしまって、澄んだ気持ちになれない、気が済まない、という思いから「すみません」と謝るわけですから、気持ちがともなっていなければどうしようもありません。口先だけの謝罪で本人の気が晴れる、気持ちが澄む、気が済むとも思えませんし、聞き手にはもやもやが残るだけで、全く澄んだ気分になれません。心のこもらない紋切り型の謝罪は、そろそろやめたほうがよいのではないかと思います。

野口 恵子(文教大学非常勤講師)