ビジネスわかったランド (経営・社長)

医食同源

古来、薬として利用された緑茶とコーヒーの威力
古来、薬として利用された緑茶とコーヒーの威力
「これは養生の仙薬であり、人々の寿命を延ばす妙薬である。山谷でこれが生ずれば、その地は霊験あらたかとなり、採って飲めば長生きできる。古今を通じて得がたい仙薬である。針や灸、湯治でも効かなくなっているときなどに飲むとよい」
臨済宗の開祖・栄西禅師(1141~1215年)が、このように絶賛している飲み薬がある。その正体は、いったい何か。きっと高価な漢方薬だと思われるだろう。実は、私たちがごく普通に飲んでいるお茶のことなのだ。

栄西は緑茶を薬として日本に紹介した
栄西は幼くして仏門に帰依して、二度中国に渡り、修行をしている。そのとき、中国医学の教えを受け、お茶の優れた薬効も学んだ。中国医学の祖とされる神農は、山野を駆け回って薬草を探した際に、毒にあたるとそのつどお茶で解毒したとされているが、おそらく中国では数千年前からお茶は薬のように使われていたのであろう。
宋より栄西が持ち帰ったお茶の種は、まず平戸に植えられ、佐賀県の背振山、山城の宇治、大和、伊賀、伊勢、駿河に広がっていった。また、わび・さびなどの茶の湯として趣味や遊びの対象となり、江戸時代になると、お茶は庶民には欠かせない飲み物へと発展した。その過程で、お茶が薬であったことが忘れられてしまったのだった。
それにしても、私たちがお茶から受けている数々の恩恵を知らなかったら、お茶に対して失礼であろう。
たとえば、静岡県のガン死亡率は全国平均と比べると著しく低い。茶の生産地である静岡県では積極的にお茶を飲んでいるからではないかと推定され、実験すると、たしかにお茶の渋み成分であるカテキンにガンの発生や増殖を抑える働きがあることが判明した。
それだけではない。カテキンの研究が進むと、お茶には動脈硬化を防ぐ働きがあることもわかった。しかも、カテキンには血栓を防止する効果まであったのだ。お茶は、成人病をまとめて予防するのである。
さらに、高血圧だと動脈硬化が進み、よりいっそう心筋梗塞や脳梗塞が起こりやすくなるが、カキテンにはこの血圧を下げる効果もあるのだ。
血圧の上昇には、アンジオテンシンⅡという物質が関与していることがわかっている。血液中のアシジオテンシノーゲンという物質は、腎臓にあるレニンという酵素の作用を受けて、アンジオテンシンⅠと呼ばれる物質に変化する。これがアンジオテンシン変換酵素の作用で、さらにアンジオテンシンⅡに変化し、このアンジオテンシンⅡに強力な血管収縮作用があるため、血圧が上がるのだ。
血圧降下剤のなかには、アンジオテンシン変換酵素の働きを阻害して、アンジオテンシンⅡができないようにする薬(ACE阻害剤)があるが、カテキンはこれと同じ働きをする。栄西がいうように、まさにお茶は養生の仙薬なのである。

コーヒーを飲めば肝臓が強くなる
では、緑茶が薬なら、コーヒーはどうだろうか。実は、コーヒーも古くから薬として用いられてきたものだ。その効果が実際に確かめられるようになったのも、緑茶同様つい最近のことである。
たとえば、長野県中部公衆衛生研究所で、95年4月から翌年の3月までに肝臓の検査を受けた40代から60代までの約1万3000人のγGTP(肝臓病の有無を示す検査値)と、飲酒やコーヒーの摂取量との関連を分析したところ、コーヒーの飲用量が多いほどγGTPの数値が低くなるという結果が出た。つまり、コーヒーには肝臓を守る働きがあるのだ。
メチルアゾキシメタールという発ガン物質をネズミに与えると、40%の割合で大腸ガンが発生するが、コーヒーの成分のなかでとくに多いクロロゲン酸を発ガン物質とともにネズミに与えると、大腸ガンの発生をゼロに抑えることができたという報告もなされている。
また、コーヒーにはSOD(スーパーオキシドジスムターゼ)と同様の作用があることもわかっている。SODは、動脈硬化をはじめとするさまざまな成人病や老化のもととなる活性酸素を体内で消去する酵素。コーヒーの中のクロロゲン酸の濃度が高くなるにつれて、SOD作用も強くなるという。
コーヒーがニコチン酸(ビタミンの一種)の優れた補給源であることも知っておきたい。ニコチン酸が不足すると、皮膚炎や下痢、神経障害を引き起こす。新しい研究では、ニコチン酸にはコレステロール値を下げて、心筋梗塞を防ぐ作用があることも認められている。
左党の人にもコーヒーはお勧めだ。二日酔いの頭痛をコーヒーに含まれるカフェインが鎮めてくれる。勉強のしすぎ、仕事のしすぎ、あるいは過度のストレスによって生じた頭痛にもカフェインがよく効く(カフェインは緑茶にも含まれる)。
あまり知られていないようだが、インスタントコーヒーを最初につくったのは日本人である。E・デ・ボノの『発明とアイデアの歴史』によると、粉末のインスタントコーヒーの発明者は、シカゴに住んでいた日本人化学者カトウ・サトリという人物。彼は1901(明治34)年、ニューヨーク州バッファローで開催された汎アメリカ博覧会に、その製品を出品した。
カトウは1899年に、コーヒーをいったん液化し、それを真空蒸発させ、水分を除去して粉末にする方法(真空乾燥法)を編み出した。しかし、そんなものを発明しても、当時の日本で受け入れられるわけはなかった。コーヒーを愛飲していたのは、ごく一部だけで、庶民にとっては縁のない飲料。そこで、カトウはアメリカに渡ったのだろう。しかも、彼は特許権には無知で、正式の発明者として特許を取ったのは、アメリカのG・ワシントン(1906年)であった。
日本に本格的にコーヒーが普及するようになったのは意外に最近で、第二次大戦後のこと。カトウの発明はあまりにも早過ぎたのである。

著者
堀田 宗路(医療ジャーナリスト)