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朝礼

家族思いは仲間への気遣いにつながる

妻以外には目もくれず

旧幕府軍の司令官として北海道箱館(はこだて)の五稜郭に立て籠もり、官軍に抵抗した榎本武揚(たけあき)は、ついに戦いに敗れ、捕われの身となりました。
新政府の木戸孝允(たかよし)や大村益次郎らは死刑を主張しましたが、ただひとり、榎本の助命を強力に訴えたのは、政府軍司令官として五稜郭で戦った黒田清隆でした。黒田は、榎本の卓越した才能・知識は新しい日本のために必ず役に立つと説得したのです。そのため榎本は、命は助かりましたが、2年半の獄中生活を送らなければなりませんでした。
彼が獄中で何より心配したのは、老いた母や兄姉、若い妻が生活に苦しんではいないか、ということでした。オランダに留学したことのある榎本は、広く化学から政治学まで学んでいました。彼は獄中から、ニワトリやカモの卵の人工孵化(ふか)のしかた、ジャガイモから焼酎を造る方法、石けんやロウソクの製法など、生活の足しになるような最新の方法を図解入りで書き送りました。
出獄した榎本は、その才能を買われ、政府の要職を歴任します。特命全権公使としてロシアに単身赴任したときも、榎本は家族を気遣う手紙を何通も出しています。妾を囲い、芸者遊びにふけった同時代の多くの政治家たちと違って、彼は妻以外の女性には目もくれませんでした。
政府上層部からの信任は厚く、部下たちからも敬愛されました。心優しい家庭人であると同時に有能な職業人であったということは、彼の器量がいかに大きかったかを物語っています。