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朝礼

チャンスに有り金をはたく

秀吉の中国大返し

明智光秀の謀反により主君信長が亡くなったことを黒田官兵衛から告げられた秀吉は、嘆き悲しみましたが、同時に、天下取りの好機が突然来たことも悟りました。
秀吉は対戦中の毛利軍と和議を結び、大急ぎで軍を返し、ひとまず居城の姫路城に入りました。翌早朝の進発を全軍に伝え、そのあとで(やっておくことがまだある)と気がつきました。秀吉は急いで金奉行と蔵奉行、備中高松城攻めときの会計方を次々と呼んで、城にある資金や食料、高松戦の折の残金を調べさせたのです。
そして、恩賞などに使う経費を除いて、すべて家来たちに分配させました。こうして、秀吉は無一文になりました。
(光秀に敗れれば金はあってもしかたないし、勝てば天下が転がり込んでくる。天下に勝る財産はない)と考えたのでしょう。
翌朝、2万余の光秀討伐軍は京へ向かいました。信長の死を知ってからわずか10日で、備中国高松城から山城国山崎までの約200キロメートルを移動させたこの進軍は、日本史上屈指の強行軍で、「中国大返し(おおがえし)」と呼ばれています。
秀吉の状況把握の的確さと決断力、チャンスに全資産を賭ける思いきりのよさは、ビジネス界に生きる者として見ならいたいものです。