ビジネスわかったランド (ビジネスマナー)

文章を「分かりやすく伝える」テクニック

読点は、意味の切れ目に打つ(1)
読点(、)は、息継ぎ記号ではありません。1つの文の中で、意味の固まり(言い換えると、意味の切れ目)を視覚的に示すものです。
読点が的確な位置に打たれていれば、読んでみてから意味の切れ目を考える手間を省いてくれます。その結果、読みやすくなり、理解しやすくなります。ときには、違う意味に誤解するのを防いでもくれます。読点の役割は、とても大きなものがあります。
それでは、どのような所に読点を打てばいいかを、文例とともに示してみましょう。

(1) 「長い主語」「長い述語」「長い目的語」の切れ目

  • 1971年に愛知県でつくられたココストア1号店が日本で最初のコンビニだと言われている。
  • 1971年に愛知県でつくられたココストア1号店が、日本で最初のコンビニだと言われている。
長い主語、長い述語、長い目的語の切れ目に読点を打つと、意味の固まりが一目で分かります。
「私は、」のように主語の後に自動的に読点を打つ人がいますが、そのような短い主語の後には、読点は必ずしも必要ありません。
  • 一般の人が同じ行動をとってもそんなに騒がれることもないであろうこの事件は繰り返し大げさに報道された。
  • 一般の人が同じ行動をとってもそんなに騒がれることもないであろうこの事件は、繰り返し大げさに報道された。
  • 低所得者向けに無理矢理組んだローンを証券会社が、あたかも信用度の高い商品であるかのように転売した。
  • 低所得者向けに無理矢理組んだローンを、証券会社があたかも信用度の高い商品であるかのように転売した。
最後の例は、長い目的語の後に読点を打ったものです。ここに大きな意味の切れ目があります。「証券会社が」の後の読点は、不要です。

(2) 「原因」と「結果」、「理由」と「結論」の間

  • 私は小説が好きなので新しい小説を手にするだけでワクワクする。
  • 私は小説が好きなので、新しい小説を手にするだけでワクワクする。
このように、原因と結果、理由と結論からなる文章は、とても多く見られます。その間に読点を打つと、文章の構造が一目で分かります。
  • せっかく新しい生活を始めるのだから家具も新しくそろえたい。
  • せっかく新しい生活を始めるのだから、家具も新しくそろえたい。
  • 1人きりの食事はとても味気ないので食欲があまり湧かない。
  • 1人きりの食事は味気ないので、とても食欲があまり湧かない。
  • ひどい人ごみの中で人の流れに呑まれて抜け出せず目的地と違う所に出てしまった。
  • ひどい人ごみの中で人の流れに呑まれて抜け出せず、目的地と違う所に出てしまった。
  • 自分の子供に暴力を振るったり、食事を与えなかったりしてときには死に至らせることもあるというのは信じ難いことだ。
  • 自分の子供に暴力を振るったり、食事を与えなかったりして、ときには死に至らせることもあるというのは信じ難いことだ。
  • ニュースで大きく取り上げられる犯罪は、たくさんあり過ぎて惨い殺人事件などもしばらくすると忘れてしまう。
  • ニュースで大きく取り上げられる犯罪はたくさんあり過ぎて、惨い殺人事件などもしばらくすると忘れてしまう。
最後の例は長い主語があるので、「犯罪は」で切るのがいいと思うかもしれませんが、全体を見ると「こうだから、こうだ」という因果関係を表わす文になっています。その構造を示したほうが、読みやすくなります。

(3) 「前提」と「結論」の間

  • 私のことを認めてくれる人がたとえ少数でもいてくれれば私はそれで嬉しい。
  • 私のことを認めてくれる人がたとえ少数でもいてくれれば、私はそれで嬉しい。
前提の説明が終わった所で点を打つと、分かりやすくなります。
  • アルバイトに精を出さなくても生活費に困ることはない。
  • アルバイトに精を出さなくても、生活費に困ることはない。
  • もし宝くじで1億円当たったらまずは、一人暮らしを始めようと思う。
  • もし宝くじで1億円当たったら、まずは一人暮らしを始めようと思う。
  • 何か異常なことが、起こりましたら職員に声をかけてください。
  • 何か異常なことが起こりましたら、職員に声をかけてください。
最後の2つの例は、意味の切れ目を考えると、原文の読点の位置が適当でないことが分かると思います。

(4) 「状況・場の説明」と「そこで起きていること」の間

  • 7月に白馬岳を登って行くと足元に無数の、高山植物が咲き乱れている。
この文の読点は、あたかも息継ぎ記号のような場所に打たれています。その結果、「無数の高山植物」という一連の意味の固まりが、読点で分断されています。
意味の切れ目を考えるならば、次のような位置に読点を打つことが望ましいと思います。
  • 7月に白馬岳を登って行くと、足元に無数の高山植物が咲き乱れている。
このように状況説明と、そこで起きていることとの間に読点があると、意味がすんなりと理解できます。
  • 初めて営業という仕事にまわされて非常に苦労している。
  • 初めて営業という仕事にまわされて、非常に苦労している。
  • 私が感動的なシーンで泣いている姿を見ると友達は「意外と涙もろいね」と言う。
  • 私が感動的なシーンで泣いている姿を見ると、友達は「意外と涙もろいね」と言う。
  • 人が自分のことを見て笑っていたりすると私は嫌われているのかなと、不安を感じる。
  • 人が自分のことを見て笑っていたりすると、私は嫌われているのかなと不安を感じる。
次は、場所を示す長い説明が終わった所で読点を打ったケースです。そこに意味の切れ目があると思います。
  • 小樽で途中下車したときに見た、駅舎の中のポスターにはとても温かな街の灯りが写っていた。
  • 小樽で途中下車したときに見た駅舎の中のポスターには、とても温かな街の灯りが写っていた。
原文は、「見たポスター」という一連の意味の固まりが、読点で分断されていました。

(5) 時間や場面が変わるところ

  • 彼は1年前に、転職して今は順調にやっている。
  • 彼は1年前に転職して、今は順調にやっている。
この文を書いた人は、「彼は1年前に」まで書いたところで、無意識に読点を打ったのでしょう。しかし、「1年前に転職した」「今は順調にやっている」という2つの意味の固まりを区別すべきです。その間に1年もの時間が経過しています。
  • 私は大学では陸上部でしたが会社では、テニス部に入りました。
  • 私は大学では陸上部でしたが、会社ではテニス部に入りました。
  • アンネは、ずっと隠れ家で生活していたがある日、ゲシュタポに見つかってしまう。
  • アンネはずっと隠れ家で生活していたが、ある日ゲシュタポに見つかってしまう。
「ずっと隠れていた」「ある日見つかった」という場面転換のところに、読点がほしいケースです。「ある日見つかる」という一連の意味の固まりを、途中で読点で分断しているのも適切ではありません。「アンネは」という短い主語の後には、読点は不要です。